育休取得中の社員に対して「海外出張に行ってほしい」と指示を出す——。
こうした場面に遭遇した人事担当者や育休取得中の労働者は少なくありません。
しかし、この指示が法的に許されるかどうかは、状況によって大きく異なります。
本記事では、育児・介護休業法をはじめとする法的根拠を丁寧に整理しながら、違法と判定される具体的なケース・適法となる条件・企業が取るべき対処法まで徹底的に解説します。
目次
- 育休中の海外出張指示が「違法」である理由【法的根拠】
- 違法と判定される「4つのケース」と法的責任
- 例外的に適法となる条件と必須手続き
- 違法指示を受けた労働者の対処法
- 企業が取るべきリスク回避策とコンプライアンス体制
- よくある質問
育休中の海外出張指示が「違法」である理由【法的根拠】
育児・介護休業法第9条「就労禁止規定」の意味
育児・介護休業法の核心となる条文が、第9条(就労禁止規定)です。
育児・介護休業法 第9条(要旨)
事業主は、育児休業申出をした労働者に対し、育児休業期間中に就労させてはならない。
この規定は強行規定であり、就業規則や労働契約にどのような定めがあっても、企業が育休中の労働者を就労させることは原則として禁じられています。
「出張」は当然に「就労」に該当します。
したがって、育休中の海外出張指示は第9条に直接抵触する可能性が極めて高いのです。
さらに、同法第6条では労働者の育休請求権が明確に保障されており、企業は正当な理由がない限りこれを拒否できません。
【育児・介護休業法 第6条(育休請求権)概要】
・子が原則1歳(最長2歳)に達するまで育休を請求できる
・企業は特定の例外を除き、申請を拒否することができない
・分割取得(2回まで)も認められる(2022年改正後)
育休請求権と企業の拒否不可原則
2022年4月施行の育児・介護休業法改正により、育休制度はさらに強化されました。
| 改正ポイント | 内容 |
|---|---|
| 産後パパ育休の創設 | 出生後8週間以内に最大4週間取得可能 |
| 育休の分割取得 | 通常育休を2回に分割して取得可能 |
| 取得推進の義務化 | 従業員数1,000人超の企業に取得率公表義務 |
これらの改正は、育休を取りやすくする方向への強化であり、企業が育休中の労働者に就労を強いる余地はさらに狭まっています。
海外出張が「養育時間確保」を奪う理由
育休制度の本質的な目的は、子の養育に専念するための時間を確保することです。
海外出張が問題となる理由を整理すると以下のとおりです。
【育休の目的と海外出張の矛盾】
育休の目的
└── 子の養育に専念する時間・環境の確保
↕ 矛盾
海外出張の実態
└── 長期間の育児離脱
└── 海外滞在中の育児不可
└── 時差・移動による育児時間の実質的剥奪
法律が「養育時間の確保」を育休の目的として設計している以上、養育を物理的に不可能にする海外出張の指示は、制度の趣旨に根本から反すると評価されます。
違法と判定される「4つのケース」と法的責任
ケース1:育休期間中の強制出張指示(絶対違法)
最も明確に違法となるのが、本人の同意を得ずに育休期間中の出張を命じるケースです。
- 適用法令: 育児・介護休業法第6条・第9条
- 違法内容: 就労禁止規定の直接違反
- 企業リスク:
- 労働局からの指導・勧告・公表(育介法第56条の2)
- 労働者からの損害賠償請求(民事訴訟)
- 不利益取扱い(男女雇用機会均等法第9条違反)への発展
⚠️ ポイント
「業務上必要だから」「代替者がいないから」という理由は、法的正当化事由にはなりません。
ケース2:育児給付金受給中の出張命令(雇用保険法違反)
育児休業給付金には、「育児に専従していること」という受給要件があります(雇用保険法第61条の7)。
【育児休業給付金の主な受給要件】
1. 育休開始前2年間に、11日以上就業した月が12ヶ月以上あること
2. 育休中に就労している日数が月10日以下(または80時間以下)であること
3. 育休中の賃金が休業前賃金の80%未満であること
出張を命じることで、就労日数・賃金のいずれかが基準を超えた場合、その月分の給付金は不支給または返納が求められます。
| 超過した場合の影響 | 内容 |
|---|---|
| 就労日数が月10日超 | その月の給付金は不支給 |
| 賃金が休業前の80%以上 | その月の給付金は不支給 |
| 不正受給と認定された場合 | 給付金全額の返還命令+追加徴収(最大3倍) |
企業がこの状況を知りながら出張を命じた場合、不正受給の幇助として行政上の責任を問われるリスクもあります。
ケース3:本人同意なき海外出張(同意無効の問題)
「本人が口頭で了承した」「メールで返信があった」——これだけでは、法的に有効な「本人同意」とは認められない場合があります。
無効な同意とみなされるケース:
- 上司からのプレッシャー下での同意(自由意思の欠如)
- 同意しなければ不利益を示唆した場合(強制的同意)
- 育休中に突然連絡があり、十分な検討期間を与えなかった場合
- 口頭のみの同意(書面による確認がない場合)
育休中の労働者は、指揮命令関係において依然として使用者との力関係の下にあるため、「同意があったから問題ない」と企業が判断するのは危険です。
ケース4:育休復帰のための「試験的出張」(実質的復帰と認定されるリスク)
「復帰に向けた準備として、短期間だけ出張に行ってほしい」——このような「試験的就労」も重大なリスクを孕んでいます。
問題点:
試験的出張
├── 実態:就労に該当
├── 認定リスク:「育休期間の実質的終了」とみなされる可能性
└── 給付金リスク:その月分の給付金の返納義務が発生
行政通達においても、育休中の就労はあくまで労働者自らの選択による一時的なものとされており、企業主導での「試験的出張」は違法と判断される可能性が高いです。
例外的に適法となる条件と必須手続き
一定の厳格な条件を満たした場合に限り、育休中の出張が例外的に適法とされる余地があります。
適法となるための3つの必須条件
【適法と認められるための条件(すべて充足が必要)】
条件1:本人の明示的な自由意思による書面同意
条件2:育児給付金への影響を事前に十分説明・確認
条件3:育児との両立が現実的に可能な内容・期間であること
手続きチェックリスト
| 手順 | 内容 | 書類 |
|---|---|---|
| ① 意向確認 | 出張の可否を本人に打診(強制禁止) | 打診記録 |
| ② 事前説明 | 給付金への影響・日数制限を書面で説明 | 説明書面 |
| ③ 同意取得 | 本人の署名による書面同意を取得 | 同意書(署名入り) |
| ④ ハローワーク確認 | 就労日数・賃金が基準内か事前確認 | 給付金受給明細 |
| ⑤ 記録保管 | すべてのやり取りを書面で記録・保管 | 一式記録 |
✅ 重要:
これらの手続きを踏んだとしても、就労日数(月10日以下または80時間以下)・賃金(休業前の80%未満)の要件を超えた場合は、給付金の支給が停止されます。手続きの正確さと給付金管理は必ずセットで確認してください。
違法指示を受けた労働者の対処法
育休中に海外出張を命じられた場合、労働者は以下の手順で対応することが推奨されます。
STEP 1:書面での確認・記録
口頭での指示であっても、必ずメールや文書で指示内容を記録しておきましょう。
【記録すべき内容】
・出張指示の日時
・指示を行った人物(氏名・役職)
・指示の内容(行き先・期間・目的)
・あなたの返答内容
STEP 2:育休の権利を書面で主張する
上司や人事担当者に対し、育児・介護休業法第9条に基づいて出張を断る旨を書面で伝えることが重要です。
【参考文例】
「現在育児休業中であり、育児・介護休業法第9条の規定により、
育休期間中の就労(出張を含む)は原則禁止されています。
ついては、当該出張指示を撤回していただくよう、書面にてお願い申し上げます。」
STEP 3:社内の相談窓口・ハラスメント窓口に申告
社内にコンプライアンス窓口・ハラスメント相談窓口がある場合は、速やかに相談記録を残すことで、後の証拠となります。
STEP 4:外部機関への相談
| 相談先 | 対応内容 | 費用 |
|---|---|---|
| 都道府県労働局 雇用環境・均等部 | 育介法・均等法違反の相談・申告 | 無料 |
| 総合労働相談コーナー(各都道府県) | 労働問題全般の相談 | 無料 |
| 弁護士(労働専門) | 損害賠償請求・交渉代理 | 有料 |
| ハローワーク | 給付金への影響・返納相談 | 無料 |
企業が取るべきリスク回避策とコンプライアンス体制
人事担当者が今すぐ取り組むべき5つの対策
① 育休中の連絡ルールを社内規定で明文化する
育休中の労働者への業務連絡・出張指示に関して、明確な社内ルールを就業規則または育休規程に定めることが最重要です。
② 管理職向けの育介法研修を実施する
違法指示の多くは、管理職が法律を知らずに行ってしまうケースです。定期的な法令研修で知識の底上げを図りましょう。
③ 育休中の社員との連絡は「情報共有」に限定する
職場復帰に向けた情報提供(組織変更・制度改定の連絡など)は許容されますが、業務指示・出張命令は厳禁です。この区別を全管理職に周知してください。
④ 同意書・説明書のテンプレートを整備する
万が一、本人が自ら育休中に就労を希望するケースに備え、適法な同意書・給付金影響説明書のひな形を事前に整備しておくことで、手続き漏れを防げます。
⑤ ハローワークと事前連絡を取る体制を整える
育休中の就労が発生する際は、必ずハローワークに給付金への影響を事前確認する手順を社内フローに組み込みましょう。
企業が問われる法的責任のまとめ
| 違反内容 | 根拠法令 | 企業が受けるリスク |
|---|---|---|
| 育休中の出張強制 | 育介法第9条 | 労働局による指導・勧告・公表 |
| 育休請求の実質的拒否 | 育介法第6条 | 過料(10万円以下) |
| 不利益取扱い | 均等法第9条・育介法第10条 | 損害賠償・行政指導 |
| 給付金不正受給の幇助 | 雇用保険法第61条の7 | 行政処分・返還命令 |
| ハラスメント(マタハラ等) | 育介法第25条 | 民事訴訟・企業イメージ失墜 |
よくある質問
Q1. 育休中に本人が「行きたい」と自ら希望した場合も問題ありますか?
A. 本人の自由な意思によるものであれば、一定の条件下で認められる可能性があります。ただし、①書面による明示的同意、②給付金の就労日数・賃金要件の確認、③強制・圧力がないことの担保——この3点が必須です。口頭での「行きます」だけでは不十分です。
Q2. 育休中に海外出張したら、給付金はどうなりますか?
A. その月の就労日数が10日を超えるか、賃金が育休前の80%以上になった場合、その月分の育児休業給付金は支給されません。また、不正受給と判断された場合は全額返還に加え、最大3倍の追加徴収が命じられることがあります。ハローワークへの事前確認が必須です。
Q3. 上司から「断ると評価に影響する」と言われました。これは違法ですか?
A. 違法の可能性が高いです。育休取得や育休中の権利行使を理由とした不利益取扱いは、育児・介護休業法第10条および男女雇用機会均等法第9条で禁止されています。また、このような発言はマタニティ・ハラスメント(マタハラ)に該当する可能性もあります。速やかに発言を記録し、社内窓口または都道府県労働局に相談しましょう。
Q4. 育休終了予定日の1週間前に「復帰と同時に出張してほしい」と言われました。問題ありますか?
A. 育休期間が終了した後の出張指示は、原則として通常の業務指示として適法です。ただし、復帰直後に海外出張を命じることが、子の養育環境・保育体制に著しい支障をきたす場合は、育介法の不利益取扱いや短時間勤務制度との関係で問題となる場合があります。育休終了後も「育児のための短時間勤務制度(第23条)」の利用が可能ですので、人事担当者に相談することをお勧めします。
Q5. 企業側として、育休中の社員に「緊急連絡」を取ることは許されますか?
A. 業務指示ではなく、組織変更・制度変更などの情報提供としての連絡は、育介法上の禁止には直接該当しません。ただし、連絡の頻度・内容が業務への関与を促すものになっていると、就労の強制とみなされるリスクがあります。連絡する場合は、内容・頻度・方法について社内ルールを設け、本人の同意を得た上で行うことが望ましいです。
まとめ
育休中の海外出張指示は、原則として育児・介護休業法第9条に違反する違法行為です。
| 状況 | 判定 |
|---|---|
| 強制的な出張指示 | ❌ 絶対違法 |
| 給付金受給中の出張命令(就労要件超過) | ❌ 違法+給付金返納リスク |
| 本人同意なき出張 | ❌ 違法 |
| 試験的復帰を目的とした出張 | ❌ 実質違法 |
| 本人の自由意思・書面同意・要件確認ありの短期出張 | ⚠️ 条件付きで許容の余地あり |
| 育休終了後の出張指示 | ✅ 原則適法 |
労働者の方へ: 違法な出張指示を受けた場合は、書面で記録し、都道府県労働局やハローワークに相談してください。黙って従う必要はありません。
人事担当者・管理職の方へ: 育休中の労働者への出張指示は極めて高いリスクを伴います。法令研修の徹底・社内規程の整備・個別ケースのハローワーク確認を、今すぐ体制として構築することを強くお勧めします。
📌 本記事は2026年7月時点の法令・行政通達に基づいて作成しています。制度改正が頻繁に行われるため、最新情報は厚生労働省ホームページまたは都道府県労働局にてご確認ください。
よくある質問(FAQ)
Q. 育休中の海外出張指示は必ず違法ですか?
A. 育児・介護休業法第9条で育休中の就労は禁止されており、原則として違法です。ただし、本人の同意と企業側の適切な手続きがあれば例外的に適法となる場合があります。
Q. 育休中に出張を命じられた場合、どのように対処すべきですか?
A. 出張命令を拒否する権利があります。応じない場合は、その旨を書面で記録し、労働局への相談や弁護士への相談を検討してください。不利益取扱いからも保護されます。
Q. 育児給付金を受給中に出張に応じるとどうなりますか?
A. 出張による就労で月10日超または80時間超の就業があると、その月の給付金が不支給または返納を求められます。受給要件を満たさなくなるリスクがあります。
Q. 企業が育休中の出張指示をした場合、どんなペナルティを受けますか?
A. 労働局からの指導・勧告・企業名公表、労働者からの損害賠償請求、男女雇用機会均等法違反に問われる可能性があります。企業の信用失墜も招きます。
Q. 育休中の出張に本人が同意した場合は適法ですか?
A. 本人同意だけでは不十分です。企業は育休の趣旨と影響を十分説明し、必須手続きを踏み、育児との両立が実質的に可能であることを確認する必要があります。

