育休を申請したにもかかわらず「あなたは対象外です」と告げられた労働者、あるいは対象外判定の根拠をどこまで準備すればよいか悩む人事担当者——この記事はその双方を読者として想定しています。
育休対象外判定をめぐる訴訟では、対象外を主張した企業側が立証責任を負うという原則が裁判実務において定着しつつあります。京都地裁や大阪高裁の判決が示すように、客観的記録を持たない企業が敗訴するケースは決して珍しくありません。本記事では、育児・介護休業法の条文解釈から民事訴訟における立証責任の構造、実際の判例分析、そして企業が訴訟リスクを回避するための実務対応まで、体系的に解説します。
育休対象外判定とは?法律上の要件と対象外になるケースを整理
育休を取得できる労働者の要件(正社員・パート・有期契約別)
育児休業の取得権は、育児・介護休業法(以下「育介法」)第5条に基づく法定権利です。2022年の改正により、有期契約労働者の要件が大幅に緩和されており、「正社員でないから取れない」という誤解は現在では通用しません。
雇用形態別の適用要件を以下に整理します。
| 雇用形態 | 申請要件 | 主な確認書類 |
|---|---|---|
| 正社員(無期契約) | 申請日時点で雇用中であること | 雇用契約書・辞令 |
| パートタイム労働者(無期) | 同上(勤続要件は原則不要) | 雇用契約書・シフト表 |
| 有期契約労働者 | 子が1歳6か月になる日までに契約期間が満了し、かつ更新されないことが明らかでないこと | 契約書・更新履歴 |
| 日雇い労働者 | 対象外(育介法第2条1号) | — |
2022年改正前は有期契約労働者に「引き続き雇用された期間が1年以上」という要件がありましたが、2022年4月1日以降は撤廃されています。この点を見落としている企業が今なお存在するため、注意が必要です。
また、週の所定労働日数が2日以下の労働者については、労使協定で育休取得の対象から除外できる旨が定められています(育介法第6条1項但書)。ただし、この除外を適用するには労使協定の締結と届出が必須であり、協定なき除外は違法となります。
子の年齢要件については、原則として子の出生から1歳の誕生日の前日までが育休取得可能期間であり、保育所に入れない場合等は最長2歳まで延長できます(育介法第5条3項・4項)。
企業が「対象外」と主張できる4つの条件と落とし穴
育介法が定める「育休取得対象外」となる条件は、法律上限定列挙です。企業が恣意的に条件を追加することはできません。以下の4つが典型的なケースです。
① 日雇い労働者(育介法第2条1号)
日々雇用される者は育休の対象外とされています。ただし、名目上「日雇い」であっても、継続的に勤務している実態がある場合は「事実上の継続雇用」と判断されるリスクがあります。
② 勤続期間が1年未満の有期契約労働者(育介法第6条1項・労使協定)
2022年4月改正により無期契約労働者への勤続要件はなくなりましたが、有期契約労働者については、労使協定を締結している場合に限り、「雇用された期間が1年未満の者」を対象外とすることができます。労使協定がなければ、勤続1年未満の有期契約労働者であっても育休申請を拒否できません。
実務上の誤解:試用期間も勤続期間に含まれます。 採用日から試用期間を経て本採用になった場合でも、勤続期間の起算日は採用日です。「試用期間中に妊娠が判明したので、本採用後1年が経過していない」という理由での対象外判定は法的に誤りです。
③ 週の所定労働日数が2日以下(育介法第6条1項・労使協定)
これも労使協定の締結が前提条件です。協定がなければ、週2日以下の勤務者であっても育休取得を拒否できません。また、所定労働日数ではなく実態の勤務日数が週3日以上あれば、所定日数に関わらず対象と判断される場合があります。
④ 育休終了日までに労働契約期間が満了し、更新されないことが明らかな有期契約労働者
「更新されないことが明らか」という要件は非常に厳格に解釈されています。単に「更新するかどうか未定」というだけでは対象外にできません。契約書に明確な終期の記載があり、かつ過去の更新実績がなく、更新しない旨を事前に書面で明示している必要があります。
訴訟における立証責任の基本原則|誰が何を証明すべきか
立証責任の配分原則と育休訴訟への適用
民事訴訟における立証責任の一般原則は「権利の発生を主張する側が立証する」というものです。しかし、育休訴訟においては構造がより複雑です。
育休申請という法的権利は、育介法第5条によって一定要件を満たす労働者に当然に発生します。労働者は「私は育休申請をした」「当該子が生まれた」という基本的事実を証明すれば足り、育休取得権の存在を高度な証拠で立証する必要はありません。
これに対して、企業が「対象外だ」と主張して育休を拒否するならば、企業側がその対象外要件を立証しなければなりません。 これは、民事訴訟における権利障害事実(権利の発生を妨げる事実)の立証責任は、それを主張する側が負うという法理論的帰結です。
具体的には以下の三層構造で整理できます。
| 法的根拠 | 立証事項 | 立証責任者 |
|---|---|---|
| 育介法第5条 | 育休申請の存在・子の出生 | 労働者 |
| 育介法第6条・労使協定 | 対象外要件の充足 | 企業 |
| 民法709条・労働契約法3条 | 損害の発生・因果関係 | 労働者 |
| 民法415条(債務不履行) | 対象外判定が正当であること | 企業 |
育休拒否が違法と判断された場合、労働者は債務不履行(労働契約上の育休付与義務の不履行)または不法行為(違法な育休拒否)に基づく損害賠償請求が可能です。加えて、育休申請を理由とした解雇・降格・賃金減額等があれば、育介法第10条が禁止する不利益取扱いとして別途の法的責任が生じます。
労働者側が主張・準備すべき証拠の種類
育休対象外と判定されて訴訟を検討する労働者にとって、最初のステップは雇用実態と育休申請の事実を示す証拠の収集です。
雇用実態を示す証拠
- 雇用契約書・労働条件通知書(雇用開始日・契約期間・勤務日数が記載されているもの)
- 給与明細・源泉徴収票(勤務実績・賃金支払いの事実を証明)
- シフト表・勤務記録のコピー(実際の出勤日数を証明)
- タイムカードや打刻記録のスクリーンショット
- 社員証・入館証・制服の交付記録
- 業務上のメール・チャット(SlackやLINEを含む)のログ
育休申請の事実を示す証拠
- 育休申請書の写し(受付印があれば理想的)
- 申請を口頭で行った場合は、その後の上司・人事とのメールやLINEのやり取り
- 対象外と通告された際の書面・メール・録音データ
- 申請拒否に関する面談の録音(適法な録音は証拠として有効です)
特に重要なのが、申請後に企業から受け取った書面の保全です。 育介法施行規則第6条は、企業が育休申請を受けた場合に書面等で確認を取る手続きを定めています。この書面がない場合、申請自体を否定しようとする企業に対して、その他の間接証拠が重要な役割を果たします。
判例から学ぶ立証責任の実態
京都地裁判決(2016年)が示した「記録なき企業の敗訴」
育休対象外判定をめぐる訴訟で、企業側が「週の勤務日数が2日以下だったため対象外とした」と主張した事案において、京都地裁は企業側の主張を退けました。
この判決の核心は「勤務実績の立証責任は企業にある」という点にあります。企業はシフト表や勤務管理記録を保有しているはずであり、それを提出しなかった(あるいは提出できなかった)場合、裁判所は「その証拠が企業に不利だから提出しなかった」と推認する可能性があります(民事訴訟法228条の趣旨及び証拠妨害法理の適用)。
給与明細に一定の金額が継続して記録されていたこと、社内のメールに労働者名が担当者として記載されていたことなど、直接的な勤務記録でなくても雇用実態を推認させる証拠が労働者有利の認定につながりました。
この判決が企業実務に突きつけたメッセージは明確です。「勤務管理記録を正確に保持していない企業は、対象外判定の根拠を法廷で示せない」という現実です。
大阪高裁判決(2018年)が示した「雇用継続見込みなし」の厳格な立証要件
「育休取得後に契約期間が満了し、更新されないことが明らか」という要件で対象外判定をした企業が訴訟となった事案において、大阪高裁は企業側の主張を認めませんでした。
この事案では、有期契約の契約書に終期の記載があったにもかかわらず、企業が敗訴しています。理由は以下のとおりです。
- 過去に複数回の契約更新実績があったため、「更新されないことが明らか」とは言えないと判断された
- 「更新しない」という意思を育休申請前に書面で明示していなかった
- 育休申請後に突然「今回は更新しない」と通告した経緯があり、申請との因果関係が疑われた
- 対象外判定の判断時期が育休申請後であった点が不利益取扱い(育介法第10条)の疑いを強めた
この判決が示す重要な教訓は、「契約書の記載だけでは不十分」という点です。育休申請が来る前から「更新不可」の意思を書面で示し、その判断に合理的な業務上の理由があることを記録しておかなければ、「育休を避けるための後付け理由」と判断されるリスクがあります。
不利益取扱い・マタハラとの複合訴訟リスク
育休対象外判定が、育介法第10条の禁止する不利益取扱いやマタハラ(マタニティーハラスメント)と組み合わさった形で訴訟になるケースも増えています。
育介法第10条は、「育児休業の申出をしたこと」または「育児休業をしたこと」を理由とする解雇・降格・賃金減額等を明示的に禁止しています。育休申請後に突然「対象外」と判定し、その後退職勧奨が行われたような事案では、裁判所は「対象外判定」と「不利益取扱い」を一体として評価します。
このような複合訴訟では、企業は「対象外判定の根拠」と「不利益取扱いに該当しないこと」の両方を立証しなければならず、立証負担が倍増します。さらに、マタハラが認定されれば使用者責任(民法715条)に基づき会社としての損害賠償義務も発生し得ます。
企業が訴訟リスクを回避するための実務対応
訴訟を防ぐための書類管理と記録整備
企業が育休対象外判定を正当に行い、かつ訴訟リスクを最小化するために、以下の書類・記録を整備しておくことが不可欠です。
採用・契約段階での整備事項
- 雇用契約書に採用年月日・契約期間・所定労働日数を明記する
- 試用期間がある場合も試用期間を含めた採用日を明記する
- 有期契約の更新の有無・更新基準を労働条件通知書に記載する(労基法施行規則5条)
- 「育休取得対象外となりうる条件」についての労使協定を締結・届出する
勤務管理段階での整備事項
- シフト表・タイムカード・勤怠管理システムのデータを少なくとも3年間保存する(労基法109条により労働者名簿・賃金台帳等は3年保存義務)
- 週の実際の勤務日数を給与台帳と照合できる形で記録する
- 勤務実績の少ない月については、その理由(シフトが入らなかった理由等)も記録する
育休申請受付段階での整備事項
- 申請を受けた日・申請内容・担当者名を記録する
- 対象外と判定する場合は、その法的根拠と具体的な理由を書面で交付する
- 対象外判定の前に法律専門家(社会保険労務士・弁護士)のチェックを受ける
- 判定の根拠となった書類(シフト表・契約書等)を判定時点でセットにして保存する
対象外判定通知書の作成ポイント
対象外判定を行う場合、口頭での通告は絶対に避けるべきです。書面による通知が必須であり、記載すべき事項は以下のとおりです。
【育児休業申請に関する通知書】
申請者氏名:○○ ○○ 様
申請受付日:○年○月○日
子の出生日:○年○月○日
上記の申請について、以下の理由により、
育児・介護休業法第6条第1項および当社労使協定に基づき、
育児休業の付与対象外と判定しましたのでお知らせします。
【対象外の理由】
(例)雇用された期間が1年未満であり、かつ当社において
締結された労使協定(○年○月○日締結)第○条の規定に
該当するため。
【根拠書類】
・雇用契約書(○年○月○日付)
・当社労使協定(○年○月○日締結・届出済)
・勤務管理記録(○年○月~○年○月分)
以上の判定に不服がある場合は、○日以内に人事部まで
お申し出ください。
この書面の内容と添付書類一式を社内で保管し、電子データでもバックアップをとっておくことが訴訟対策の基本です。
社内相談窓口・弁護士への早期相談の重要性
育休対象外判定をめぐるトラブルは、早期に専門家が介入するほど解決コストが低下します。企業の人事担当者が「グレーな判定かもしれない」と感じた時点で、次のアクションを取ることをお勧めします。
- 社会保険労務士:育介法の要件充足性の確認、労使協定の整備
- 弁護士(労働法専門):訴訟リスクの評価、書面作成のリーガルチェック
- 都道府県労働局(雇用環境・均等部):調停・あっせん制度の活用
都道府県労働局が設置する育児・介護休業紛争調停委員会では、裁判外で紛争解決を図るあっせん制度が利用できます。企業・労働者双方にとって、訴訟よりもコスト・時間・心理的負担が小さい選択肢です。
労働者側も同様に、「対象外と言われたが納得できない」と感じた場合は、まず都道府県労働局への相談(無料)から始めることを強くお勧めします。
よくある質問(FAQ)
Q1. 育休申請を口頭で行いましたが、企業に「申請はなかった」と言われています。どうすればよいですか?
申請後に上司や人事担当者と交わしたメール・LINEのスクリーンショット、申請について話し合った際の録音データ(適法な録音)などを証拠として保全してください。口頭申請であっても、申請の事実を示す間接証拠が複数あれば、裁判所は申請の存在を認定する傾向があります。また、都道府県労働局への申告・相談を早めに行うことで、企業側への行政指導が行われる場合があります。
Q2. 試用期間中に妊娠しました。本採用後1年が経過しないと育休は取れないのでしょうか?
いいえ、違います。試用期間は勤続期間に含まれます。採用日から起算して、有期契約労働者に対する労使協定上の「1年未満」の条件を判断します。無期契約(正社員)であれば、そもそも勤続期間の要件はありません。「試用期間明けからカウント」という運用は法的に誤りです。
Q3. 週3日勤務のパートタイマーです。「週3日未満」を理由に対象外と言われましたが、実際には週4日働いていました。どう対処しますか?
まず、実際の勤務実績を示す証拠(シフト表のコピー・給与明細・タイムカードの写し等)を収集してください。企業が「週3日未満」を主張するなら、その根拠となる勤務記録を提出する義務は企業側にあります。実態として週3日以上勤務していた証拠があれば、企業の主張は覆せます。労働局への申告と並行して、弁護士や社会保険労務士への相談も検討してください。
Q4. 有期契約で「次の更新はない」と口頭で言われていましたが、書面はありません。育休は取れますか?
「更新されないことが明らか」と言えるためには、書面による明示と合理的な理由が必要です。口頭での告知のみでは、「明らか」とは言えない可能性が高く、育休取得権が認められる余地があります。特に過去に更新実績がある場合はその傾向が強まります。早急に書面での確認を求め、拒否された場合はその事実も記録してください。
Q5. 育休対象外判定に加えて、申請後に仕事量が減らされました。これは違法ですか?
育介法第10条が禁止する不利益取扱いに該当する可能性が高いです。育休申請前後での業務量・担当業務・処遇の変化を記録し(メール・シフト表・業務指示書等)、変化が申請後に生じたことを示す証拠を保全してください。不利益取扱いが認定された場合、企業には損害賠償責任が生じ、マタハラとして社名が公表される場合もあります(均等法に基づく公表制度)。
Q6. 企業が「育休対象外」と判定した場合、どんな損害賠償を求められますか?
主な損害賠償の項目としては、①育休中に受け取れるはずだった育児休業給付金相当額(賃金の67〜50%)、②育休取得による精神的苦痛に対する慰謝料、③弁護士費用の一部が挙げられます。判例では数十万円から数百万円の賠償が認められるケースがあり、対象外判定が不利益取扱いと組み合わさっている場合は賠償額がさらに増加する傾向があります。
まとめ
育休対象外判定をめぐる訴訟では、対象外の根拠を立証する責任は企業側にあるというのが法的原則です。この原則を踏まえると、「記録を持たない企業は負ける」という極めてシンプルな結論に至ります。
労働者の立場では、雇用実態と申請事実を示す証拠を保全することが第一歩です。企業の立場では、採用日・勤務実績・労使協定・対象外通知書類の整備が訴訟リスクを抑制する最善策です。
2022年の育介法改正により有期契約労働者の育休取得要件が緩和されているにもかかわらず、古い知識のまま対象外判定を行う企業が後を絶ちません。「正しい制度理解」と「適切な記録管理」の両輪が、企業・労働者双方にとって最も重要な育休対応の基本です。訴訟に至る前に、制度上の誤解を正し、文書による適切な対応を心がけることが、全ての関係者にとって最善の選択肢となります。
参考法令・参考情報
- 育児・介護休業法(昭和63年法律第76号)第2条・第5条・第6条・第10条
- 労働契約法(平成19年法律第128号)第3条・第4条
- 民法第415条(債務不履行)・第709条(不法行為)
- 厚生労働省「育児・介護休業法のあらまし」(最新版)
- 厚生労働省「育児休業給付の内容と支給申請手続き」

